自分のブログが有る事すら忘れてた(^^;;
最近お茶とか漢方の石鹸にはまってます
ゴーヤ茶はなんでも糖尿病に良いとか
早速検索 出てくる出てくる
種入り、種無し。パックに入ったものと入っていないもの
値段が高い方がいいのか など色々と悩んだ結果
種入り パックなし 財布に優しい方が良い!と言うことで
ヤフオクの「チャッコのティーハウス」というお店で買ってみた
以前友達から頂いたゴーヤ茶に比べると、しっかり乾燥していて香ばしい匂いがしてくる、
ちょっと苦味はあるもの気にならないので食事の時に一緒に飲んでいる
お通じが良くなったような気がしないでもない
血糖値の高い主人は1ℓのペットボトルを2本もって出勤している
これで血糖値が下がったら言う事無いよな〜!
あっ!そう言えばここ4日ぐらい イライラが収まっているような気もする・・・(^^;;
飲み始めてまだ2週間しか経過してないから、効果の程はまだまだ未確認だけど
親戚にも友達にも 糖尿病の人が居るので早速分けてあげた
評判が良くて、あっという間に10袋が無くなり 急いで追加注文した
毎日お茶を5ℓ(やかんで3回)沸かす作業は当分続きそうです
にきびで悩んでる娘の為に 雨上がりの庭でどくだみ採取・・・
くさいって!頭痛いって!と言いながらもせっかく庭にあるんだからと
せっせと採取して、洗って、干してきました
どくだみの乾燥が終了したら ゴーヤ茶とどくだみをブレンドしたお茶にしようと思ってます
シークワァサーのお茶は味は感じませんが、柑橘系の匂いがして良いです 焼酎に入れて飲めば肝臓にも優しくて良いかも
年に3〜4回ほど嫁します と言っても全く楽な嫁です
主人の実家に出かけても 姑さんが洗濯をしてくれます
『一緒に洗っちゃうから出しなよ』
この言葉が嫁になりたての頃はありがたくなかた(^-^;
今朝も 洗濯物出しなよ からスタートでした
で 面白いのが、娘たちは今後?そのうち?嫁になるだろう本能なのか
遠慮して洗濯物は持ってくるから 私が洗濯機を回すには回しますが
干してくれるのは義母です(〃∇〃) てれっ☆
以前に『家は干す場所が無いから、○○ちゃん(私)の所みたい広げて干せないのよ』と全て干しなおされてから甘える事にしました
干してくれて たたんでくれて
娘の里帰りかよ ってぐらいに、しっかり甘えてます
昔を懐かしんでる場合でわないが・・・
叔父さんの葬儀で懐かしい顔といっぱい出会ったから 自分の昔の事を思い出してしまった
幼少時代の想い出は 怒られっぱなし
祖母ちゃんと畑に行こうとして あぜ道をルンルン歩いていると
田んぼ一面に蓮華草が咲いていた 蓮華草を摘もうと田んぼに入った瞬間
叔父さん(父の兄)の怒鳴り声
『よその田んぼに入るな〜』
それ以来叔父さんが居る時には、お祖母ちゃんの家に上がらなくなった
でもお祖母ちゃんには会いたいから(お小遣い目当てだったかも)
お祖母ちゃんの部屋の縁側から入るんだけど
縁側から上がったのばれると また怒られるんだよな(^-^;
あとは20才ほど離れた従兄弟のバトミントンの羽をむしって怒られた
未だにこの従兄弟の事は苦手だけど、子供の頃に感じた恐怖は無い
親戚が集まると必ず言われる
私はませたガキで・・・ちっともじっとしてない落ち着きの無い子で
未だに変ってないそうな(>_<")
もういい加減 過去の話はやめてくれ
親戚の叔父さんが亡くなったと・・・午後突然知らせが入った
子供の頃はよく会ってけど最近はめったに会うことは無かった
叔父さんは事故のせいで私が生まれた頃にはもう失明していた
叔父さんと食事をする時は
説明して皿を置く 皿の位置を確認してもらう
歩く時は肩を貸し 少し前を歩きながら一声かけていた
家族がそして身内は皆そうしていた
子供ながらに、誰に教わったのでもないのに自然にそうしていた
笑ってる叔父さんの姿を知ってる。音を頼りに走る姿を知っている。
私が生きてきた人生の中で 影響を与えてくれた人だ
一応親してます、ついでに受験生の母を二度経験しました
この切羽詰ったような緊張感は一人目も2人目も関係なく同じでしたよ
しいて言うならば 長女は夏に志望校を決めて変る事はありませんでしたが
次女は二転三転・・・姉と同じ高校に落ち着くまでは、家族会議に涙とすったもんだありまして、正月まで一校に絞れないで悩みましたわ
要領良く立ち回る事が出来ず、虐められっ子にも虐めっ子にもなれない
、逃げ道を随分探していていました
高校はあまり深い関わりが無いから大丈夫との姉の助言が大きなきっかけだったんでしょう
まー高校生までになると周りに振り回される事少なくなるんでしょうが・・・
なんでもない一言が 傷になる事もある と教えてくれたのは次女でしたね
ほんの些細な言葉とか励ましとかが無責任な言葉になってしまう
『このひねくれ者が〜』と何度思った事でしょう
今思えばそんな自分が一番許せなかったのは本人だったのかも知れません